2018年9月6日(木)3時7分に発生した北海道胆振東部地震から今日で4年が経ちました。
当時のことを少し振り返りたいと思います。
地震発生時
当時、幼稚園の年長さんだった次男と私は同じベッドで寝ていました。
枕元にあったスマートフォンから緊急地震速報のアラームが鳴ったとほぼ同時くらいにドン!という衝撃のある揺れを感じます。いつもの軽い揺れの地震ではないことがすぐにわかり隣で寝ていた次男を起こしました。次男と手をつなぎ、隣の部屋で寝ている当時小学3年生の長男のもとへ向かいます。部屋の電気をつけ、長男に声をかけたのですが「すごい雷だねぇ…」と寝ぼけまなこ。(確かにこの日寝る前に雷が鳴っていました。)とにかく揺れが大きいので避難経路を確保するために次男と手をつないだまま玄関の扉を開けに行きました。その後長男の部屋へ戻るころには揺れは収まっていました。
揺れが収まってから、簡単に家の中の点検をし幸いにも大きな被害がないことを確認。その後、次男と長男と同室でまた睡眠の体制に入りました。
地震発生から約5分後、単身赴任中の夫から電話がありました。札幌よりも揺れが強い地域にいた夫でしたが無事を確認でき安心しました。
※この時点ではまだ電話もインターネットも、電気にも異常はありませんでした。
停電発生
地震発生から(おそらく)十数分後、小さな灯りをつけて寝ていたのですが突然消えてしまいます。停電です。大きな地震の直後の停電、普段から明かりがないと怖がる次男が怯えてしまいます。次男をはげましつつ、私はキャンプグッズのLEDランタンを取りに行きました。
停電直後に夫に連絡しようとしたところ、私のスマートフォンは電話も、ネット接続もできなくなっており、連絡を取ることはできませんでした。
しかし、この時は停電も電波もすぐに復旧するだろうと考え、前日の台風で寝不足だったこともありそのまま就寝。
朝起きると・・・
その後、いつもの時間に起床し、まだ停電が続いていることを知り驚きました。
停電が続いている、スマホも使えない、状況がわからない。
「これはちょっとまずいぞ」と少し焦ります。
当然ですがテレビをつけてニュースを見ることもできませんし、インターネットもつながらないのでネットニュースも見ることができません。スマホで電話をしようとしても「接続できませんでした」というメッセージが出る。
怖い。そう思いました。もちろん大きな地震も怖かったですが、外部と全く連絡が取れない、情報を得ることができないことが本当に怖い、と感じました。
もちろん子どもたちもいつもと違う状況に不安そうにしています。
ラジオが活躍
「そういえば避難グッズをまとめてあるバッグにラジオがあったはず!」と思い出し、取りに行きました。懐中電灯の役割やサイレンを鳴らす機能もある多機能ラジオ、備えていて本当に良かったと思いました。
さっそくラジオを聞いてみると、どうやらこの停電はかなり大規模なもので北海道全体が大変なことになっているらしいということがわかりました。
小学校と幼稚園
この日は平日の木曜日。小学校も幼稚園も当然ですが休みになります。(私のスマホはほぼ使えない状態でしたが近所の方が教えてくださったり、スマホを持って電波を受信できそうなところを探してウロウロしているうちに幼稚園からの連絡を受信することもできました。)
食事
電気を使えない状況にうろたえながらも、まずは食事をとろうと思い、土鍋とカセットコンロを取り出しご飯を炊きました。
いつもと違う状況に不安を感じながらも、美味しいご飯が炊けて子どもたちも笑顔でした。(米好き男児2人です。)当然冷蔵庫の電源も入らないので冷蔵庫にあるものから消費しようと思い前日のカレーを鍋に入れカセットコンロを使用し温めて3人で食べました。
洗濯
幸い我が家の地域では水が使えたので、手洗いで洗濯をしたりすることができました。
夫帰宅
地震直後に電話をしたまま、連絡が取れなくなっていた単身赴任中の夫が昼過ぎにわが家へ帰宅。子どもたちが大喜びでした。やはりお父さんがいると安心するのでしょうか。
公園へ
こんな状況でしたが、ずっと家にいたのでは子どもたちにストレスが溜まってしまうと思い、夫が子どもたちを連れて近所の公園へ少しだけ遊びに連れて行ってくれました。
暗い夜
そして、灯りのつかない夜を迎えます。
キャンプ道具として備えていたLEDランタンやヘッドライトが大変活躍しました。
冷凍庫のものを食べてしまおうと、冷凍してあったハンバーグをあたため、また土鍋で炊いたご飯と食べました。
停電のため入浴は諦め、固く絞ったタオルで体をふきました。
星空とラジオ
日が暮れた後に窓の外を眺めるとこんなに星ってたくさんあった?!と驚くほどきれいな星空が見られました。子供達もすごいすごい!と大はしゃぎ。あの日、星空が綺麗だったことはたくさんの方が実感されたようですね。大変な夜でも綺麗なものは綺麗です。
それと、夜に聞いたラジオ、「これから夜を迎えます。助け合いの夜です。ご近所で困っている方はいませんか?声を掛け合って助け合って乗り越えましょう。」と落ち着いたトーンで優しく語りかけてくるラジオパーソナリティの言葉励まされ、泣きそうになりました。
就寝
台風で寝不足なところに地震で寝不足。
この日は私も子供達と同じ部屋で早めに就寝しました。
9/7朝
停電から24時間以上が経過した9月7日の朝。まだ電気の復旧はされていません。
実家の家族とも思うように連絡が取れず、職場からのメールは受信はできたものの返信ができないなど、相変わらず不安定な電波。そしてスマホの充電もそろそろ底をつきそうでした。
非常食の備え
職業柄もあり夫は仕事へ出かけます。
私はこの停電がいつまで続くかわからずかなり不安を覚えていました。
とりあえず、車の燃料を入れに行こう。と思い子どもたちをのせてガソリンスタンドへ向かいました。覚悟はしていましたがガソリンスタンドはかなりの列です。2時間待ち、3千円分という制限付きの給油でした。2時間の待ち時間、スマホの充電を車でしました。スーパーもかなり混雑したようでしたが、幸い我が家は食料の在庫があったのでスーパーには行かずに済みました。(万が一の時の非常食の備えもあったのでその点は安心感がありました。)
わが家が実際に備えている非常食です。↑(期限が近くなり美味しくいただいた経験あり!再度同じところのものを購入して備えています。)
2日目の夕暮れ
ラジオを聞いていると、徐々に停電に関しては復旧してきているという情報を聞けたのでそろそろ我が家も電気が使えるようになるかな?という淡い期待をしていたのですが、かなわず地震発生から2日目の夕暮れを迎えます。
できることはできるだけ明るいうちに、ということで夕食も早めに済ませ、早々とベッドに向かいました。
復旧
そこで私のスマホの電波状況に変化がありました。それまで不安定だった電波がほぼ通常通り快適に使えるようになっているのです。やった~と思った直後のこと。カチッ。と音が聞こえ、電気がつきました。
「やったーー!!」と歓喜の声を上げる兄弟と私。(笑)
すっかり寝る準備を整えていたのですが、私も子どもたちもいったん起き上がり家中を点検して回りました。流せていなかったトイレを年長さんの次男が率先して流しに行ってくれたりし、微笑ましかったです。
まとめ
この地震でいかに備えが大切かということを思い知りました。
9月上旬のまだ温かい時期だったのでオール電化の我が家でも寒さに凍えることはなく過ごせましたが、これが真冬だったらと思うと想像するだけで怖いです。当時、家の暖房以外何も備えていなかった我が家。現在はコロナのポータブル石油ストーブを普段使いもしているので停電時にも活躍してくれると思います。
おそらく私1人だとこんなに真剣に「備えよう」とは思っていなかったかもしれません。
子どもたちを守るためにも万が一の時のための備えはしっかりしようと改めて感じています。
オール電化の我が家が停電時に必須だったもの、あってよかったもの。
- 多機能ラジオ
- 土鍋
- カセットコンロ
- LEDランタン
- ヘッドライト
- ポータブルストーブ(地震経験後、購入しました。)